天の声と一緒に歩いて、中田の棚田の中にたどりついたイモ太。
どうやら今日は中田の棚田の歴史について学ぶみたいです。
ふぅ~、やっと着いた!!広いね!!
そうじゃろ。昔はもっと広かったんじゃぞ。
もっと広かったの?
そうじゃ、中田の棚田も昔に書かれた書物の中に記録が残っているんじゃぞ。たしか、1425年に書かれた高野山文書の中じゃったな。
1425年ってことは、600年くらい前のこと!?すごい!!
600年前に「中田の棚田があった」ことが書物からわかるから、中田の棚田自体ができたのはもっと前の話になるのぉ。
でも、なんで中田の棚田のことが書物に書かれているの?
いい質問じゃ。中田の棚田は、昔、高野山の領地じゃった。その高野山で行事が行われる際、お米を高野山に送っていたんじゃ。「中田の棚田からはこれだけお米が送られてきましたよ」という記録が残っていて、それが今では貴重な史料になっておるんじゃ。
そんな記録が残っているんだね。
記録では、2斗1升、今で言うと31.5kgくらいのお米が送られているらしいぞ。この送ったお米の量から、昔は14町、だいたい14haくらいの棚田があったと考えられているんじゃ。
14町?14ha?ピンとこないな…。
ふぉっふぉっふぉっ(笑)そうじゃろう、今あるもので例えるなら東京ドーム3個分くらいの広さだったらしいぞ。わしは行ったことないからわからんが…。
ぼくもわかんないや。
今の中田の棚田の広さが10町くらいらしいから、大体1.5倍くらい広かったと考えればよいじゃろう。
それならわかる!!もっと広かったんだ!!
ちなみに、600年前の書物に記録が残っている棚田は、全国的にも珍しく、和歌山で最古の棚田かもしれないという噂じゃ。
すごいすごい!!
中田の棚田の貴重な歴史を学べたイモ太。
和歌山県最古の棚田にお家は見つかるのでしょうか?
今回のポイント
・中田の棚田は、約600年前に書かれた書物に記録が残っているよ。
・今のところ、中田の棚田は和歌山県で最古の棚田と考えられているよ。
・中田の棚田は、昔は14町、今の約1.5倍の広さがあったんだって!!
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